2017年11月3日金曜日

バス、バス停、水の中

例えば、バスに乗るとして。
バス停でバスを待つことしかできない。
ぎりぎりで駆け込んだり、20分待っても来なかったりするけど、ただおれ自身は、待つか待たないか、それを決めることしかできない。
選択とはそういうものだと思っていた時もあった(今でも思っている)。

待つというのはそれほど苦しいことじゃない。
待っているということは、少なからずそれが来るということを信じている状態だから。
しかしよくよく考えると、待たないと決める時の心持ちもいっそ清々しく、悪いものではないのかもしれない。

苦しさというのは、選択が並び、その間で揺れる心の内に宿っている。
決められないという苦しさ。
それは、これまでおれにははっきりと理解し難いものだった。
生きていくということは選び抜いていくことだし、多くのものが早い者勝ちだからというのがひとつと、もうひとつは、選ばれる立場であったということ。
より良いものに選ばれるために、より良い状態で選ばれるために、自分自身を整え、精神や心を向ける。
選ばれない苦しさというのも勿論あるけど、それは苦しさというよりは悔しさで、自分に向けられるもの、終わってしまったものへの悲しさとか。

選ばれる側というと何だか傲慢な感じがするが、それは選ばれないことの連続であるということでもあるわけだし。
惨めさなら昔から知っていた。
それがどういうものなのか、どうしたら振り払えるのか、どうしたって振り払えないものだということも。
それで、ああ、おれも好き勝手に選ぶということをしていいんだわと思い始めたのは18歳を過ぎた辺りからで、例によってそれはあらゆる欲に関することだったけど、それだって今考えれば選ばれるための諸々、「決める」という主体からはまだまだ遠く、何か大きなものの流れの中にいて、それを泳いでいると錯覚するようなものだった。

今でも、決めるとか選ぶとかいうことは何かしらの悲しさを連想して、つまりそれは何かを選ばないということと同義だろう、だからといって声を上げなければ後回しになってしまうという、切羽詰まった気持ちになる。
ただ情動は別物で、それはいつも精神をあっという間に置き去りにして、あるいは身体をあっという間に置き去りにして走り抜け、ばらばらにしてしまう。
選択とも決定とも似つかわしくないもの。
ただそこにあって、見えるような見えないような、弾けるような包み込むような。
バス停を根こそぎ持っていく台風。

でも、それにしても、待たせるということは。
それはまた、想像もしない世界、待っていることに関してはこんなに考え、選択とか自由とか意思とかあるけど、待たせるということは。
いてもたってもいられず、飲んだ酒を吐き戻したり、それでもまだ飲み続けたりしながら、時間が2分ごとに伸びたり縮んだりするし、ここにいる身体と、離れてしまった精神が行ったり来たりして、しまいにはおれがどこにいて何が誰なのか、時計の読み方もわからなくなる始末。

正しいことをしたい、正しい場所にいたい、正しいものを抱いていたい。
そう考えたきり、ぷつりと思考が焼き切れたように終わってしまって、後はただ呆けたように、卵の薄皮を剥くように、午前5時まで過ごした。

2017年9月13日水曜日

雨の日には泳げない

実家の近くに鳩を飼っている家がある。
あれは何というのだろう、名前はわからないが、鳥小屋をもっと大きくした屋舎に、何十羽も。
朝方と夕暮れ、鳩たちは放たれる。
ほとんどの鳩の身体は真っ白なので、晴れて鮮やかな日差しの日には、それは見事だ。
綺麗に夕暮れる日にも。
雨の日には飛ばなかった。
実家にいた頃、ずっとそうやって鳩たちを目にしていた。
おれは実家を離れてしまったが、その間に何羽の鳩が死んだろう。

昔、よく賭けをしながら歩いた。
他愛のないことだ。
信号が点滅する前に渡りきれたら今日は良い日、目を瞑ってあの角に手を付けたら明日好きなことをしてもいい、帰り路に白線を踏み外さなかったら明日はノーと言える。
一番よくしたのは、信号だった。
点滅する前に渡りきれなければ、死ななければならない。
そうして度々「死ななければ」ならなかった。
その度に死んだ。
死んだら、赤と青が交互に点るのを2回見なければならず、次にその信号を渡る時には息を止めなければならない。
そういうルールだった。
思えばたくさんのルールがあった。
おれが自分を律すること、罰することは、おれにとってとても重要なことだったから。
誰もが、どんなやり方であるにせよ、自分で自分を保っている。
おれの場合は、賭けとルールだった。
しかし多分、おれは自分を罰したかったのだ。
何に対しての罰かはわかっていた。
それだけはいつも。

鳩たちもよく賭けに使われた。
夕方、鳩が舞う時間はちょうど帰る頃だった。
あの電柱までに1羽でも折り返してこなかったら、今日は死のう。
目を閉じて開けるまでに、あの茶と白まだらのやつがこちらに向かっていなければ、いなくなろう。

いつでも、鳩はきちんと折り返してきた。
白も、まだらも、1羽残らず。
鳩はちっとも乱れずに飛んだ。
いつでも。
青空でも、曇りでも、風があっても、暑くても、寒くても。
雨の日以外には。

今朝、久しぶりに鳩を見た。
相変わらずの隊列、反射する白。
おれはもう、ほとんど賭けをしない。
賭けをしなくても、律したり罰したりできるからだ。
物事のやり方を昔よりは心得ている。
横断歩道の真ん中で、立ち止まったまま死ななくてもよくなったのだ。
それでもごくたまに、ごくごくたまには、賭けもする。
信号よりも、鳩よりももっと予想し難いやつ。
コイントスのような。
おれは以前より物事を信じるようになったのかもしれないし、疑い深くなったのかもしれない。
あるいは、全然変わっていないのかもしれない。

2017年8月26日土曜日

手を打つ

おれは昔、少年で、何も持ってなかった。
1ヶ月ほど前から、ほとんど眠れなくなってしまった。
ずっと待っていたし、ひどく惨めで、時々幸福だった。
誰もおれではないのだと思う時、惨めで、幸福だった。
家を空けて、電車へ乗って遠くへ行く機会が少し増えた。

電車はおれを運んでくれる。
家では(おれには、家がある!)、無数に散らばったレコードと、ソファの上の殴り書きだらけの紙きれと、テーブルの上のフィルム写真と、ベッドの上の畳んでいない洗濯物が山のように重なっているだろう。
こんなはずではなかった、という格好で。
ぱん、
と手を打ったなら、消えてしまいそうに思う。
ソファも。テーブルも、ベッドも。残暑も、冷房も、家も、電車も。彼らも。おれも。
でも、手を打つことができない。

もうずっと、打たないでいる。

2017年7月16日日曜日

あなたは隠し事だらけ

もう随分と、会話をするのが難しく感じる。
自分の気持ちを説明しようとするととても長い文章が必要になるが、それはもう会話ではなく言葉になってしまう。
淀んだ言葉は会話にはならないし、人との関係の中では時に使いにくい。
なので、齟齬を承知でおれは先に進まなければならない。
そういったことにおれは多少の苦痛を感じる。
だけどおれは生活しているし、できるだけ社会的に生きていきたい。
会話に対する修練不足なのだと思う。

おれは今、会話が少しだけ恐ろしい。
あらゆる例を立てて、自分の表す事柄が小さな一例に過ぎないこと、そして自分と相手では意見が違うこと、また、意見が違うことは必ずしも対立の理由にはならないことをいちいち積み上げてからではないと具体的な話題に移る際の不安がしこりのように残って、上手くいかない。
だから中途半端で改竄された言葉を使うことになる。
そして相手の返答もまたいちいち小さな一例に過ぎず、例えばそれを否定する気持ちはなくても、主観としてあれこれ理由があるから不安になるのだとか、そういう風に組み立てないと言葉にすることができない。
しかし涙は先に流れるのだ。
おれは、だから他愛のない会話を繰り返すことになる。
洋服の色や、値段や、夕食のメニューや、懐具合なんかの会話。

もっと相手や自分の内面で何が起こっているのかを知りたい。
相手が世の中に対してどういう風に思っているのか、目の前にある物事についてどういう経緯でどういう思いを持つようになったのか、そういった本当の話をしたい。
本当のことを話したいと、いつも思っている。

2017年7月5日水曜日

理不尽と暴力

勿論、自分も含めての話なのだが、幼少期から青年期辺りの経験で、とんでもない理不尽だとか制裁の意味での暴力なんかを頻繁に受けて育った人間って、今考えるとそういうことをやっていた人の意図を理解できない部分がないわけでもないが、やっぱり当時は物凄く不快だったし、恐怖もあったし、とにかく嫌だなと思っていたし、自分はそういう人間にはなるまいと考えたりする人は多いと思う。
多分そういうことって、世代的に昭和の最後の世代くらいまでなのかなと想像したところで、自分たちの世代がみんなそんな考えになっていたとしたら、自分たちの下の世代が理不尽や暴力に晒されず生きていくことになって、そういった行為に嫌悪感を抱く機会も得ずに、その下の世代に対して理不尽や暴力を発信していくことになったら、なんか凄い嫌だなと思った。
実は世の中、そういったことを一世代おきに繰り返しているのです!と力説されたら何だか信じてしまいそうな気がする。

しかしまあ、自分たちの世代なんかは理不尽や暴力を反面教師にしようとしてるんじゃないかなあとぼんやり考えていたのだけど、自分たちの上の世代にもそういう感覚の人はたくさんいただろうし、それでも自分たちの一個上の世代が理不尽に感じるということは、最近の若者はなっとらん!というのが永遠になくならないのと同じようなことなのかもしれない。
それで、自分が一生懸命理不尽にならないようにしていても、相手には理不尽だと思われてるのかもしれない。
しかしまあ、世の中の最大の理不尽と暴力は戦争だと思っているので、戦争から遠ざかっていくと理不尽とか暴力は減っていくのかもしれない。
それだったら、年月が経つほどそういうのは薄くなっていくのかもしれない。
あと、世の中の人が大体話せばわかる人だったらもっと平和になるのかもしれないし、そうでもないかもしれない。

2017年6月7日水曜日

白いということ

昨日は白く、白い日だった。
海も、空も。
いつの間にか白は終わって、今は黒い。
蛍光灯ばかりが白い。
机や電話機、コピー用紙などは白とは言えない。
白に近いには違いないが、白ではない。
ここには蛍光灯の他、全くの白はない。
そして蛍光灯は、仕事を終えて帰る際には長い紐を引いて消していく決まり。

髪の毛が何だか茶色いようになってきた気がしたので、日付を見ればあれから3ヶ月も経っていて、3ヶ月と思えば、相変わらず時間というものの実感のないおれにはそれがどの程度の年月なのか感じることができない。
ただ、3ヶ月、と思う。

物事が真実である必要などないと思っているが、それでも人が悲しい目を見るのはつらい。
見たものを、聞いた言葉を信じようと決めてから、しばらくおれの心は順調だった。
順調というのは、つまり穏やかさや険しさをそうあるべき時(それを求められている時)に感じられるということ。
おれの喜怒哀楽は社会や時効に沿っていて、そうすると何だかとても物事がスムーズに進むのだ。
おれを置き去りにして(それは些細な問題だ。なぜならおれはいつでも自分に会えるのだし、自分を置き去りにして物事がスムーズに進むということは、つまりおれはそこに置き去りにされるべきであるのだから)。
でも、いくらか経つと、おれが自分に会うための道のりは無視できないほど長くなっていった。
それはそうだ、物事は進んでいくのだから。
しかし苦痛ではなかった。
自分に会いにいくためにどれだけ長い道のりが必要であったとしても。

苦痛だったのは、周りの人々だ。
多くの人々はそれをよしとしなかった。
人間はそのようにばらばらになって生きていくものではないのだとおれに言い聞かせ、ちょうどよいバランスを保たせようとした。
ちょうどよいバランス!
おれをそこから引き剥がしたくせに。
おれは従順だったので、今とは違う、ちょうどよいバランスを学ぼうとした。
そして、またしても体得した。
それは捨てていくことだった。
悲しみを悲しんで、すぐにそれを後ろの方へ流していく。
喜びを喜んで、それもすぐに捨てていく。
あるものを全て拾い集めて、すぐに捨てていく。
そんな風なやり方だったと思う。

日々はめまぐるしかった。
あちらもこちらも人や物や言葉や思想や主義やデータに溢れていて、捨てるべきものも拾うべきものにも事足らなかった。
信じることや疑うことをやめにして、ただものを知り、分解し、咀嚼し、排泄していった。
そうして痩せっぽっちのおれができあがった。
おれはあの時、間違いなく惨めだったのだ。
でも、言えなかった。
言おうなどとも思わなかった。
自分が惨めであることは知っていた。
知って、それさえも後ろへ、後ろへ、捨てていった。
それを後方の森にいたおれが全て拾い集めていた。
拾い集めて、そして全部本当に燃やすように、捨ててしまうつもりだった。
でもそうではなくて、おれは今生きているので、それらをゆっくりと咀嚼している。
物事を考え尽くした後で感じている。
どうしてそれと一緒に行ってしまわなかったのだろう?
そうしたらきっと、こんな風にばらばらに悲しむこともなかったに違いないのにと、少しだけ思う。
だけど、それだって仕方のないことだ。
全てはそうするしかなかったという風にできているし、何も動かせない。

「死んでもいい」というのと「生きていける」というのは度々幸福の表現として用いられるが、それを常に同じ瞬間に感じている。
幸福の以前はおれは死にたくなかったし、生きたくもなかったし、生きていけるとも思っていなかった。
だけど、今は死んでもいいし、生きていけると思う。
よかったね、と思う。
自分自身に対して。

とにかく今は、薬を飲みすぎてぼんやりして、何日も顔も洗わず服も着替えずに、ぱりぱりになった髪の毛を神経質に指でほぐすなんていうのとはとても遠い場所に来ている気がして、でも、一瞬でそこへ行ける。
それは、薬を買ってくればいいとか仕事を辞めればいいとかそういうことではなくて(勿論それもあるが)、戻れるというのは戻りたいということと似ているから、だから嫌だ。
みんながみんな口を揃えて「よかったね」という今の状態を、それはそうだろう、幸福で、清潔で、明るいのだから。
不幸でこそはなかったが、不潔で、暗くて、あの場所、あの場所に、わずかながらも(わずかですらないかもしれない)、幸福を感じていた自分自身を、どうして誰もわかってくれないのだろう。
そう思ってしまうのが、凄く嫌だ。
馬鹿馬鹿しいことだ。
本当に幸福なら、誰にも認めてもらう必要なんてないはずだから。

でも、知っている。
あの時はそうだった。
誰にも認めてもらう必要はなかったし、誰かが悲しんだって悲しくなかった。
おれはひとりで、壁の白を数えて、飽きたら眠った。
許されないようなことをして、でもそれが何だったか、今ではひとつひとつは思い出せない。
毎朝、毎晩、もう過ぎたことだと蓋をする。
一瞬で両極を味わう。
当然のことだ。
あらゆる意味において、おれはもうひとりでは生きていけない。

2017年1月5日木曜日

親の愛が社会を束縛する

大体ね、もう21世紀になって16年も経っているんだから、その辺のおっさんやおばさんだってそれは相当に自由な考え方を身に付けているはずなんだ。
マツコ・デラックスやぺこ&りゅうちぇるがお茶の間の人気者になるような時代だ。
決まりきったことだろう。
隣人がどんな生き方を選択してもいちいち口を挟むような必要はないし、法律や制度だってもっと様々な人たちの権利を認めていくように変えてしまって構わない。
そんな風に考える人は、例えば20年前よりもずっと多くなっているはずだ。

にも関わらず、おれたちの暮らすこの社会はまだそれほど自由なものにはなっていない。
最近また息苦しさが増してきているような気さえするほどだ。
それはなぜかという話だ。
ひとりひとりは自由な考え方を持っているはずなのに、なぜ社会は自由じゃないの?という話だ。

結局のところ、それは未だおれたちがそれほど自由じゃないからなのだと思う。
まあ全然自由でないかといえばそんなこともなくて、自分自身や隣人については今や相当に自由なのだろう。
例えばおれが友人に対して「どんな生き方をしていようと友達は友達だ」と言うことはできる。
自分自身の社会一般の枠組みから外れてしまった部分について認めることも、決して簡単なことではないだろうが、多分できる。

難しいのは、自分の子供に対して同じことを言ってやれるかということだ。
以前、"ただ「ひとりでいい」と言ってほしかった"という記事を書いたことがあったが、あれは子供の視点に立っていたからあんな物言いをすることができた。
確かにおれは「ひとりでいい」と言ってほしかったけど、自分が子供に対して「ひとりでいい」と言ってやれるかというと、全く自信がない。
一歩間違えると、みんなと同じことを楽しみ、みんなと同じことを考えるような子供、子供らしい子供に育ってほしいとさえ思うかもしれない。
「男の子なんだからこうしなさい」とか「女の子なんだからああしなさい」とか、そんなことさえ口走ってしまうかもしれない。

おれはきっと「自らの価値判断でそんなことを言うのではない」と弁明するだろう。
人間は自由だ、しかし自由に生きることはリスクが高い、子供にはそんな想いをしてほしくない、これは単純に損得勘定の話なんだ……などと。
おれの言いそうなことなんてすぐに想像がつく。
全くもって退屈な物言いだが、おれはきっと真剣にそういった言い訳を重ねていくのだろう。

人と違う生き方は、それだけ苦労も多くなる。
自分自身がそれを選択することはできても、子供にはそれを負わせたくはない。
そもそも、そんな選択自体をさせたくない。
何の疑問も持たず大人になって、ごく普通の家庭を築いて、孫の顔を見せてほしい。

そういった考え方が、社会をガチガチのまま保っている大きな力だ。
子供に対して期待する事柄は、未来に対して期待する事柄とイコールだからだ。
子供にごく普通に育ってほしいと思うことは、社会がごく普通のままであり続けてほしいと願うことだからだ。
そんな考え方を抱いてしまうおれこそが、どんな差別主義者よりも強大な抵抗勢力なのだということはわかっている。
今のところ子供を作る予定もできる予定も全くないが、もしおれが人の親になったとしても、このままでは子供に新しい社会をプレゼントしてあげられそうもない。