2016年2月28日日曜日

例えばこれが10月の

2月が終れば3月が来るということを無論知ってはいたが、大抵このくらいの時期になると急に理解してしまう。
毎年、性懲りもなく。
2月と3月の間にはいくつもの橋が渡されていて、おれはそこを今はひとりで歩かなくてはならない。
梅の花が例年より早く咲いて散ること、今年は新しい家に住んでいること、いつだったかの桜の木がまだその場所にあること。
沈丁花の蕾や、かさかさになってもまだ茎から折れずにいる紫陽花の枯れた花、見る度に膨らんでいく蕗の薹。
暖かい日の空がだんだん薄まって冬を消していく。
かちかちに冷えた風がやすりをかけたように少しずつ柔らかくなっていく。
 
前髪が驚くほど早く伸びるので、勢い余って自分で切ってしまう。
髪の毛を切ることなんて何でもないことだったのに。
今は。
理解することは、良いことだよ。
でもすぐに忘れてしまう。
だったらそれは、理解ではなくて単に梅が咲くようなことなのかもしれない。
あるいは散るような。
 
例えばこれが10月であればよかったかなと考える。
例えばこれが10月の、冷めてしまったコーヒー、気の抜けたビール。
行儀よくならんだレコード、例えばこれが10月で。
しかしおれには想像できない、何度も行きつ戻りつした日々の後ろに枯葉が舞うところや、コートを出し始めるところなんて。
例えばドーナツなしの日曜日なんて想像できないみたいに。
 
2月が終れば3月が来るのだし、2月が終わるまで3月は来ない。
そして3月が来ればすぐに夏になって、おれたちはいくつかの問題に深刻になりすぎることもなくなる。
日が少しずつ長くなる、
生活は少しずつ変わる、問題を後回しにするという選択を思いつく。
10月が来るまでには髪を何度も切るだろうし、咲く、そして枯れるのだとしても、おれはそれをまた理解しようとする。

2016年2月1日月曜日

馬鹿の何が悪いのか

馬鹿な人間は喋ってはいけない。
無力な人間は何もするべきではない。
優秀な僕たちの邪魔になるからね。
 
これはおれの被害妄想である可能性が高いのだが、どうもそこかしこでそんなことを言われているような気がしてならない。
馬鹿と暇人のものだったはずのインターネットにまでこういった論理が幅を効かせるようになった気がして、おれはとても淋しい。
 
まあ、みんなの言わんとすることもわからないわけじゃない。
自分の専門分野で全く見当違いなことをわあわあ喚かれたら鬱陶しくもなるだろう。
馬鹿は大抵これまでの議論の前提を無視して話を始めてしまうし、自分の感性に無意味な自信を抱いているものだから全く勉強なんてしないしな。
最近の世の中の動きからすると、馬鹿が好き勝手に喋り始めることは「鬱陶しい」を超えて「恐ろしい」の領域に足を踏み入れてるような気もするし。
それで、みんな「馬鹿は黙れ」と言うわけだ。
 
馬鹿は黙れ。
 
本当の馬鹿ならエリートに何を言われたって関係なく喋り続けてくれるのだろうが、おれが心配しているのは、馬鹿のくせに他人の顔色を伺う程度には小利口な連中、つまりはおれと大体同じ程度に馬鹿な連中のことだ。
こいつらは全く信用できない。
 
知性と呼べるようなものは何ひとつ持ち合わせてないくせに、他人に馬鹿だと思われることが怖いものだから、信じてさえいないものに簡単に身を任せてしまう。
あまり頭の良くない人間が物事を正しく選択したいと願うなら、結局は権威主義的に振る舞うことが最も賢いやり方なんだし、馬鹿どもにもそれくらいのことはわかる。
権威を持つ人間が「馬鹿は黙れ」と言ってるものだから、この中途半端な馬鹿どもは彼らの尻馬に乗って「馬鹿は黙れ」の大合唱を始めるんだろ。
それでそのうち馬鹿も「あ、馬鹿っておれのことじゃん」なんて気が付いちゃって、誰も何も喋ることができなくなってしまうんだろ。
 
おれは自分が馬鹿だと思う人間の意見はフィルタリングして読まないし、おれの意見だってきっと馬鹿扱いでフィルタリングされて読まれていない。
そんなことは馬鹿にだってわかるが、でもだからといって、馬鹿が自分から黙り込んでしまったらこの世はもうおしまいだ。
どうしても頭の良い人間だけで世の中を動かしたいのなら、国会議員なんて全員クビにして官僚だけで社会を運営すればいいじゃん。