2017年9月13日水曜日

雨の日には泳げない

実家の近くに鳩を飼っている家がある。
あれは何というのだろう、名前はわからないが、鳥小屋をもっと大きくした屋舎に、何十羽も。
朝方と夕暮れ、鳩たちは放たれる。
ほとんどの鳩の身体は真っ白なので、晴れて鮮やかな日差しの日には、それは見事だ。
綺麗に夕暮れる日にも。
雨の日には飛ばなかった。
実家にいた頃、ずっとそうやって鳩たちを目にしていた。
おれは実家を離れてしまったが、その間に何羽の鳩が死んだろう。

昔、よく賭けをしながら歩いた。
他愛のないことだ。
信号が点滅する前に渡りきれたら今日は良い日、目を瞑ってあの角に手を付けたら明日好きなことをしてもいい、帰り路に白線を踏み外さなかったら明日はノーと言える。
一番よくしたのは、信号だった。
点滅する前に渡りきれなければ、死ななければならない。
そうして度々「死ななければ」ならなかった。
その度に死んだ。
死んだら、赤と青が交互に点るのを2回見なければならず、次にその信号を渡る時には息を止めなければならない。
そういうルールだった。
思えばたくさんのルールがあった。
おれが自分を律すること、罰することは、おれにとってとても重要なことだったから。
誰もが、どんなやり方であるにせよ、自分で自分を保っている。
おれの場合は、賭けとルールだった。
しかし多分、おれは自分を罰したかったのだ。
何に対しての罰かはわかっていた。
それだけはいつも。

鳩たちもよく賭けに使われた。
夕方、鳩が舞う時間はちょうど帰る頃だった。
あの電柱までに1羽でも折り返してこなかったら、今日は死のう。
目を閉じて開けるまでに、あの茶と白まだらのやつがこちらに向かっていなければ、いなくなろう。

いつでも、鳩はきちんと折り返してきた。
白も、まだらも、1羽残らず。
鳩はちっとも乱れずに飛んだ。
いつでも。
青空でも、曇りでも、風があっても、暑くても、寒くても。
雨の日以外には。

今朝、久しぶりに鳩を見た。
相変わらずの隊列、反射する白。
おれはもう、ほとんど賭けをしない。
賭けをしなくても、律したり罰したりできるからだ。
物事のやり方を昔よりは心得ている。
横断歩道の真ん中で、立ち止まったまま死ななくてもよくなったのだ。
それでもごくたまに、ごくごくたまには、賭けもする。
信号よりも、鳩よりももっと予想し難いやつ。
コイントスのような。
おれは以前より物事を信じるようになったのかもしれないし、疑い深くなったのかもしれない。
あるいは、全然変わっていないのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿