もう随分と、会話をするのが難しく感じる。
自分の気持ちを説明しようとするととても長い文章が必要になるが、それはもう会話ではなく言葉になってしまう。
淀んだ言葉は会話にはならないし、人との関係の中では時に使いにくい。
なので、齟齬を承知でおれは先に進まなければならない。
そういったことにおれは多少の苦痛を感じる。
だけどおれは生活しているし、できるだけ社会的に生きていきたい。
会話に対する修練不足なのだと思う。
おれは今、会話が少しだけ恐ろしい。
あらゆる例を立てて、自分の表す事柄が小さな一例に過ぎないこと、そして自分と相手では意見が違うこと、また、意見が違うことは必ずしも対立の理由にはならないことをいちいち積み上げてからではないと具体的な話題に移る際の不安がしこりのように残って、上手くいかない。
だから中途半端で改竄された言葉を使うことになる。
そして相手の返答もまたいちいち小さな一例に過ぎず、例えばそれを否定する気持ちはなくても、主観としてあれこれ理由があるから不安になるのだとか、そういう風に組み立てないと言葉にすることができない。
しかし涙は先に流れるのだ。
おれは、だから他愛のない会話を繰り返すことになる。
洋服の色や、値段や、夕食のメニューや、懐具合なんかの会話。
もっと相手や自分の内面で何が起こっているのかを知りたい。
相手が世の中に対してどういう風に思っているのか、目の前にある物事についてどういう経緯でどういう思いを持つようになったのか、そういった本当の話をしたい。
本当のことを話したいと、いつも思っている。
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