2016年11月1日火曜日

初恋の教室

語る度に内容が変わることでお馴染み、おれの「初恋」の話をしよう。

幼少期のおれは今のようないやらしい姿の大人とは無縁の、愛らしい子供だった。
ビスケットを叩いて2つに増やすという錬金術を知っていたお陰で街中の子供がおれを尊敬していた。
おれの周りには頭の悪い子供しかいなかったから、その程度のことでも魔術師を気取ることができた。
自慢じゃないが何でもできる子供だった。
野球をやらせれば4番以外はやらせてもらえなかったし、もちろんエースピッチャーだった。
おれが手を叩けばみんなが踊りだしたし、一度踊りだしてしまえば日が暮れるまで誰もそれをやめようとはしなかった。
あまりにも全てが自分の思い通りになりすぎて、この世なんてものは出来の悪い玩具のように感じていたように記憶する。
退屈していた。
その娘を見つけたのは、ちょうどそんな時期だった。

その頃のおれは慢性的にひどく物憂い気持ちに襲われていて、いつも教室の窓側で静かに授業を眺めていた。
ろくに人と話そうともしなくなったおれの周りには、いつの間にかひとりの取り巻きさえもいなくなっていた。
そうなってしまっても、もはやおれはビスケットを増やそうともしなかった。

しかし、そんなおれの耳にもついにあの娘の声が届いてきた。
それは微かな、小さな声だった。
耳を澄ましていなければとても聞こえないような声だ。
おれはその娘のことを知っていた。
彼女は喉の病気で、大きな声を出すことができないということも知っていた。
彼女は『雨蛙の物語』を朗読していた。
一生懸命なことはわかるのだが、教室の端にいるおれにはほとんど聞き取ることはできない。
小学生がそれほど長い間静けさに耐えられるわけもなく、教室は序々に騒がしくなっていき、ついに彼女の声は掻き消されてしまった。

おれは何だかとてもいけないことをしているような気持ちになっていた。
背筋に後ろ暗い何かが走るのを感じ、自分の身体に異変が起きていることを知った。
そして、おれは……おれは、おしっこがしたいのか?などと思った。
幼かったおれには尿意と区別をつけることすらできなかったわけなのだが、今ならわかる。
あれは初恋だったのだと。

そして、今のおれは恐れている。
小さな声の女の子を好きになったおれは、女の子なんてただかわいければよくて、ぺちゃくちゃ喋らない方が面倒がなくていいなんてことを根源的には求めているんじゃないか……なんてことを。
しかし、勿論それは勘違いに過ぎない。
きっと、あの騒がしい教室を抜け出してどこか静かな場所であの娘と心ゆくまでマチュピチュやエンジェルフォールの話をしたかっただけなのだ。
しかし、現実にはそんなことを話す機会は一度も訪れなかったどころか、この文章だってほとんどが嘘でしかない(おれが野球なんてするわけがない)。

しかし、おれの記憶の中にあの娘がいるということ、それは嘘じゃない。
彼女はふわふわとした髪の毛の女の子だった。
おれは確かに彼女を覚えている。
もう20年以上の時が流れてしまった今でも。
それでも、それがおれの初恋だったかというと、やっぱりどうにも自信が持てない。
やっぱりあれはただの尿意に過ぎなかったんじゃないか。
そんな気が、しないでもないんだよ。

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