2016年7月30日土曜日

本を読むと不幸になる

今はどうだか知らないが、おれが幼かった頃の大人たちはみんな子供に本を読ませようとしていた。
それも実用書なんかじゃなく、物語の類を。
物語に触れることは子供の情操教育にとって良いことだ――そんな出鱈目がどうやら本気で信じられていたらしい。
とんでもないことだ。
 
大体、田舎の大人なんて頑張ってもせいぜい『文藝春秋』くらいしか読みやしないのだから、読書がどれほど人生に悪影響を与えるものか本気で考えていないのだ。
そうして、嫌がる子供の脳内に無理矢理活字をねじ込んでいく。
何とも腐りきったペド根性だ。
 
どうしていたいけな子供に対してそんなかわいそうなことができるのか。
おれにはとても信じられない。
先輩が「子供の涙で贖われる世界になんて価値はない」なんてことをいつも言い続けてたけど、今やおれも全く同じ気持ちだ。
 
この際だからボリュームをマックスにして言っておきたいことがある。
本を読むと不幸になる。
 
医学的根拠はない。
だけどボクサーならわかる。
あなたがボクサーじゃなくても、ちょっと周りを見渡してみればわかるはずだ。
グラウンドをホームにしていた鈴木、図書室をアジトにしていた田中、果たしてどちらがより充実した人生を送っていただろうか?
いちいち思い出すまでもないだろう。
 
もしあなたが大学生なら、文芸系のサークルを覗いてみるといい。
妙に病んだ雰囲気を持った人間がごろごろいることに気付くはずだ。
薬物やリストカットに依存している確率が異様に高い。
サ館を歩けばメンヘラに当たるとはよく言ったものである。
これは明らかに読書の弊害だ。
 
そんなことないよ、私は本好きだけど超ハッピーだよ、そう仰る方もいるだろう。
確かにネットで見かける読書家の人々は、どういうわけだか人生を楽しく謳歌する素敵な人が多い。
スケートボードとターンテーブルを両脇に抱え、夜な夜なパーティーに出かけていく。
それでいて小説も超かっこいいのを読んでいて、哲学だって嗜んだりする。
そんなイメージだ。
確かに、彼らのように生きられるのなら本くらい読んでもいいかもしれない。
だけどやっぱり彼らの生活を真似するのは簡単なことじゃない。
大部分の人間は、もっと簡単に物語の毒にあてられてしまう。
 
かくいうおれもそのひとりだ。
ネットの世界ではともかくとしても、おれは田舎の子供にしてはそこそこに読書家だった。
あんな田舎町でカート・ヴォネガットや村上春樹や星新一を愛読していたのだから、これはもう立派なインテリである。
そこでやめておけばよかった。
ところが、おれはそれからも物語を過剰摂取することをやめられなかった。
中毒である。
根気がないせいで知性的な内容の本が読めないのが不幸中の幸い、これでおれに人並み程度の根気と知性があれば、おれは今頃完全に廃人となっていただろう。
 
やがておれは自分自身の人生にも物語性を強く求めるようになり、もちろん果たせず、膨れ上がった希望に押し潰されそうになりながら、今日もやっとの思いで生きていくことになる。
惨めで辛い話だ。
 
ああいけない、しんみりさせてしまった。
おれの話はこれくらいでいい。
 
とにかく、子供に本を読ませることにおれは絶対反対だ。
おれは父親になったとしても、子供に本なんて買ってやらない。
子供は子供らしく外で遊べと言う。
おれは家で優雅に読書を楽しんでいるから、お前は壁に向かってボールでも投げてろと言ってやる。
それがおれたち親子のキャッチボールなんだと言ってやる。
 
最近、と言ってももう流行りは廃れてしまったが、彼女にアニメを10本勧めるだの何だの言っている輩がいたようだが、いい加減にしろと言いたい。
小説でもアニメでも問題は大して変わらない。
君は愛する人を不幸に陥れて楽しいのか。
猛省を促したい。
 
最後に、書くかどうか凄く迷ったが、本を読むから不幸になるのではなく、不幸だから本を読むことくらいしかできないという可能性があって、たまごクラブが先かひよこクラブが先かみたいな問題になってしまうのだが、とにかくおれは猛省を促したい。

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